助詞を「が」しか知らんのか
最近の文章を見ると、やたら「が」が多い。
「おいしいハンバーガーが売ってる店知りませんか?」
「○○が売っている場所を教えて下さい!」
「オリジナル曲が作ってみたい!」
「希少部位が食べる焼肉屋さん教えてください」
「二人が向かった先は地元で有名なスーパーに足を踏み入れた」
……と、最後の一文は違いましたね(笑/参考)。ちなみに上のサンプルはすべて某SNSのトピックタイトルから引用、一部改変しました。
なんでも「が」で済まそうとするこの傾向は、最近のケータイ文化の普及により文章の一文が短くなってきているのが関係しているのではないかと思います。言葉は時代とともに変わるものだと私も思いますが、言語の根幹を成すであろう助詞の使い方まで変化してしまうのではちょっと戸惑ってしまいます。
ひと昔前の典型的な悪文といえば、文をやたら「~ので」や「~ですが」で連結するものという記憶があります。
昨日パソコンを買いに行ったのですがその店の店員が言っていたのですが最近のパソコンは高性能ですがデボン紀を代表する生物ですがやっぱりイクチオステガ
みたいな文章です。
ところが最近はメール文化が台頭してきた影響で、長い文章はあまり書かない傾向にあります。
昨日パソコンを買いに行った
店員にきいた
最近のパソコンは高性能
デボン紀といえばイクチオステガ
みたいな感じです。パソコンの画面で文章を見て、折り返しが不要なくらいの短さが適切、といった印象です。
一文が短いということは、よくいえば洗練されています(わかりやすい文章の基本です)が、短くすることによって助詞や代名詞の使い方を訓練する機会が減ってきているのかなぁ、と思います。
たとえば
ほの暗い闇の彼方の人影の動きのひとつひとつの不気味さの度合いは~
という文があったとします。韻を踏むのを重視するとかなら別として、「~の」がやたら続くこの文はやや解りにくいのであまり良い文とはいえません。これを
ほの暗い闇の彼方に見える人影。その動きひとつひとつがもたらす不気味さの度合いは~
のように改めることで、意味がとりやすくなるのではないでしょうか。もっともこの文も体言止めを使っているのであまり良い文とはいえませんが……。
まぁ根本的には、巧遅よりも拙速を重んじる風潮が一番の原因だとは思います。
なんて時代では、おちおち推敲もしてられません。埴谷雄高がいまの子供だったら、文章は長いわ書くのは遅いわで、友達がひとりもできないことでしょう。小中学生の間には、携帯・メールの返信が30分以上遅れると『私は嫌われている』『あいつは私のことが嫌い』などと思う“30分ルール”がある
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